北川 英治

長球会相談役

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Posted on October 10, 2019

【長良高校在籍の7年間】

北川 英治 (長球会相談役)
現:岐阜高校野球部監督 
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 1997年(平成9年)の4月,大学を卒業したばかりの私が最初に赴任した学校が長良高校であった。前年までの4年間,長良高校が選抜に出場した当時の主将であられた鈴木賢治先生が監督を務められた後の大役を,新任教諭である私がいきなり引き継ぐことになった。部長・副部長の先生も転勤され,体制が一新された状態で長良高校野球部を任されることになった。(右も左もわからず苦しかった。今ではなかなか考えられないことであるが・・・・)

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 野球部の初日のスタートが4月2日で,その日は練習ではなくいきなり試合であった。しかも対戦相手が私の母校である岐阜高校であった。その試合,誰一人としてわからない選手の顔と名前を覚えながらベンチにいたのをよく覚えており,勝った後にウィニングボールをもらったのもよく覚えている。その後,生徒と年齢の近かった私は学生の時のノリで高校野球の指導にあたった。1年目の教え子達とは4ヶ月のつき合いであったが,未だに年賀状のやりとりがある。非常に思い出深い1年目の教え子達であった。その一人が大江哲郎である。その秋に面識も何もない県外の強豪校に電話をかけて練習試合を飛び込みで組ましていただいた。その中には現在でも長良高校が,関商工が,そして岐阜高校が,私の転勤後も継続しておつきあいしていただけている学校の指導者の方が何名かみえる。嬉しいし,感謝しかない。

 しかし当時は強豪校と組みすぎて後から後悔した。「やばいな。夏前に全敗するな。」そんな不安ばかりであった。しかし,何とかしなければ,という思いで練習を積み重ね,“本気で甲子園に行ける”と選手に言い続けた。すると夏前の練習試合で勝ったり,接戦であったりと,私も選手達も不思議な自信がついていった。その結果,夏はあれよあれよと決勝まで進み,決勝で岐阜三田(岐阜城北)に敗れ,準優勝。「思っていたより甲子園は近い」と大いに勘違いした。しかし,選手の試合での態度にかなりお叱りと苦情をいただき,学生監督のノリを一切やめて,教育者として野球指導者にならなければ,周囲の方々や学校から応援していただけないんだと思い,新チームから指導方針を一変したのである。(元々厳しさはあったとは思うが・・・・)

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 夏の結果を見て,中学生が長良高校を受験していい選手が集まるだろう,3年以内には甲子園に行けるな,とかなり甘い考えになっていったのをよく覚えている。一方で,そんなに簡単に甲子園に行ってはいけないんじゃないか,とも決勝前日から考えている自分もいた。その後の3年間は非常に苦しかった。試行錯誤の連続で,結果が出せないうえに生徒達につらい思いや苦しい思いをさせすぎた。やめさせてしまった生徒もいる。それでも有り難いことに部員が非常に多く,よく我慢してくれたと感謝している。狭い学校のグランドで効率のいい練習を考え,日常生活まで厳しく指導・徹底管理をし,その指導・管理領域は考査結果やすべての授業態度にまで及んだ。

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 いい流れができ,強くなってきているな,という長良高校6年目のタイミングで1年間の慶應義塾大学でのコーチ(名目は企業研修)。その年に秋季東海大会へ鈴木賢治先生以来の出場を川瀬先生のもとで果たし,21世紀枠が当時あれば選ばれていたかもしれない戦力があった。7年目に前校長の則武先生(のちの花園高校校長)との約束で長良高校野球部に復帰したが,結果は残せず関商工へ転勤することになった。お世話になった長良高校7年間の生徒の顔が次々と浮かんできます。

その後の話は、来年1月3日の長球会カンファレンス2020で・・・・。


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Profile

北川 英治
(きたがわ えいじ)

長球会相談役

監督在任期:49期50期51期52期53期55期

現:岐阜高校野球部監督(2019年12月現在)