【TOPICS Vol.4】長球会(長良高等学校野球部OB会)オフィシャルサイト

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このページは長良高校野球部に関連したエピソード等、OB会員の皆様から寄せられた情報を掲載しています。こんな伝説、あんな事件…、新たな記事の情報をご提供ください。⇒記入ページからどうぞ!(別ウインドウが開きます)
夏の大会の歴史
“全国高等学校野球選手権大会”、現在は岐阜大会の優勝校が全国大会(甲子園)に出場しますが、過去に遡ると、岐阜大会を勝ち上がった後に、以下の予選大会を経て甲子園のキップを勝ち取りました。
  • 第1回~29回 東海大会 愛知・三重・岐阜(第2回~8回は静岡含む)
  • 第30回~56回 三岐大会 三重・岐阜(この間、第40回・45回・50回・55回は記念大会として各県1校出場)
  • 第57回~ 岐阜県単独
本大会は1915年(選抜高等学校野球大会は1924年)から始まりました。しかし1941年の第27回大会は文部省の通達で地方大会中に中止となり、1942年から1945年の間は第二次大戦のために、大会は中断されました。また第7回から第27回大会は47都道府県の他に、朝鮮・台湾・満州からも参加していました。ちなみに本校は高校設立の年、1949年の第31回大会から参加し、2010年現在、第32回大会(1950年)の全国大会(甲子園)に出場しました。
打倒・岐阜商!
 昭和53年7月29日、岐阜県大会決勝vs県岐阜商、甲子園を掛けた戦いに惜しくも0-1で敗れました。スタンドで見ていた1年生14名は「打倒!県岐阜商」と固く心に誓いました。松野守康監督の下、高校3年間常にその言葉を胸に練習に明け暮れました。
 厳しい練習の後は、腹がペコペコ。2年生の冬のある日、松野監督が「おいホワ餃でも食いにいくか?」と生徒を誘いました。川南から通っている生徒中心に10人くらいで店に入った時、松野監督が「おい、誰か一人でも新記録作ったら、全員おごってやる」と言い、皆が新記録目指し威勢よく食べ始めました。しかし30個も食えば満腹で、次々リタイヤ。その中で、40個を越えても余裕で食べ続ける男が一人。監督が「まだ行けるか?」と聞くと、当時ジャイアンツで売出し中の中畑清にあやかり「絶好調!!」。周りから「よし、県岐阜商の○○を超えた!」「市岐阜商の○○を抜いて、これで○位や!」と声援。その度に「絶好調!」と繰返し、遂に65個を超え、72個の新記録達成!監督は一人財布の中を気にしていましたが、皆で「やった、岐商に勝った!」と店内で大騒ぎしました。
 誰がホワ餃チャンピオンか?・・・32期キャプテン(三輪中出身)をご覧下さい。戻しそうになるのを堪え、三輪まで自転車で帰って行きました。ちなみにこの学年は、県岐阜商に対し、練習試合と公式戦3試合全て勝って4連勝。ホワ餃を含めて5連勝でした。このキャプテンあってこその団結力でした。
※注 ホワイト餃子:岐阜市昭和町にある有名餃子専門店。当時、店内に45個以上食べた人の名前と個数が、多い順に貼ってあった。最多は65個で、1位から7位まで県岐阜商・市岐阜商勢が占めていた。