【TOPICS Vol.5】長球会(長良高等学校野球部OB会)オフィシャルサイト

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このページは長良高校野球部に関連したエピソード等、OB会員の皆様から寄せられた情報を掲載しています。こんな伝説、あんな事件…、新たな記事の情報をご提供ください。⇒記入ページからどうぞ!(別ウインドウが開きます)
歌会 31期・32期・33期
現在のようなピロティーなどはなく、雨が降ったときの室内練習は大変。まずは旧校舎の廊下と階段をランニング。つづいて廊下で腹筋・背筋・腕立て。ここまでがウォームアップでここからが本番。教室へ移動すると「歌会」が始まります。先輩に指名された後輩は、一人ずつ教壇へ上がりアカペラで歌うわけですが、ただ歌うだけでは大ブーイング。先輩に勘弁してもらうため、選曲に凝り、声帯模写に形態模写、果ては替え歌までと工夫を凝らした一大エンターテイメント。長良の選手の度胸の良さと開拓者精神はこうして培われました。さらに就職後、この体験が大いに身を助けるとはこの時点では知るよしもありません。
ぶら下がり健康器 31期・32期・33期
正門の脇にあった高鉄棒は最悪でした。当時一世を風靡したヒット商品「ぶら下がり健康器」になぞらえて、新入生の基礎体力トレーニングに大いに活用されました。二人ひと組で、一人が外周を走ってくるまでもう一人がぶら下がり続けます。帰ってくると入れ替わり、これが延々と繰り返されます。一人でも落ちた場合は連帯責任となりもう一度最初から。絶対に落ちることは許されませんが、握力のない者には正に地獄。気力とは裏腹に、手の皮だけを鉄棒に残し、地獄へ落下していった者も。罰ゲームは登校時間帯の校門での校歌独唱。「1年○組○番×××× 校歌 歌いま~す あ~おげば きんかざんっ・・・」登校する女子生徒の失笑をよそに、遠藤部長の「校門で校歌 歌っとるもの すぐやめよ!」の放送が入るまで、彼の歌声は朗々と続きました。
ドロジュン 31期・32期・33期
冬練の定番、ロード。金華山ランニングコースは「ドライブコース」「馬の背」「七曲がり」「百曲がり」の4コース。それぞれのコース別に学校正門を出てから帰着するまでの制限時間が設けられていました。監督は学校で待機し、キャプテンが先導して全員が2~3列縦隊で走りますが、なぜか岐阜公園までくると隊列がストップ。突如「泥棒巡査(かくれんぼの変形)」が始まります。適当な時間が経過すると、「そろそろ帰るぞ」と再び隊列を組んで学校へ。校門が近づくと全員が一世一代の苦しみ顔の演技。これを見ていた県岐阜商の選手達が「長良はいいなぁ」としきりにぼやいていたようです。
バレンタイン事件 31期・32期・33期
構想1ヶ月、費用数百円、とにかく壮大な計画でした。彼女のいない部員をターゲットにしたイタズラ大作戦。しかも、真のターゲットにイタズラと気づかせないために囮ターゲットを準備し、他部の女子生徒に協力を依頼する念の入れよう。2月13日にターゲットに手紙が届きます。「明日の練習終了後、校門で待ってます」囮にも同じような内容の手紙が届くため、ターゲットはまさか自分がだまされているとは思いません。当日の練習終了後、万歳三唱で部室から見送られ、ターゲットが校門に向かうと、そこには女子テニス部の○○さんが当時の定番、グリコアーモンドチョコレートを持って立っています。それを受け取り、喜び勇んで部室に戻り、中を開けてみると・・・。無情にも中にはぎっしり並んだ小石とともに「愛しとるよ by監督」のメッセージが!!!
どこまでも電車で移動 31期・32期・33期
現在の長良高校は父母会寄贈のバスで移動していますが、当時の移動はどこへ行くのも電車でした。昭和55年春の中部大会(東海大会)出場時には、雨天による順延で資金が不足。バットやヘルメットを担いで、静岡から鈍行を乗り継いで岐阜まで戻りました。中京(現中京大中京)享栄東邦への練習試合も全て名鉄と地下鉄を乗り継いで行きました。この頃、岐阜では見られない自動改札が名古屋に登場。どうして良いかわからず通り抜けようとすると、バーが出てきて警報器が鳴り大騒動に。我々は正真正銘の田舎者の集団でした。