【TOPICS Vol.7】長球会(長良高等学校野球部OB会)オフィシャルサイト

コンテナーの上部スペース

TOPICS

このページは長良高校野球部に関連したエピソード等、OB会員の皆様から寄せられた情報を掲載しています。こんな伝説、あんな事件…、新たな記事の情報をご提供ください。⇒記入ページからどうぞ!(別ウインドウが開きます)
心と体の強化
昔の野球は“水を飲むな”“肩を冷やすな”から始まるスパルタ式の根性論が主流でした。平成19年に野村淳氏(33期)が母校の監督に就任以降、心技体のバランスのとれた指導を目指し、同期の高橋仙二トレーナーがスタッフに加わり、選手の体調の維持管理をサポートしています。また外部講師をお招きし「コンディショニングセミナー」を開催し、選手はメンタル面からトレーニングの方法まで多岐にわたる指導を受講しています。さらに練習の合間に捕食を摂り体作りに力を入れていますが、日々の捕食以外にも外部講師をお招きし「栄養セミナー」を開催し、野球選手に必要な食事に関する勉強をしています。この勉強をもとに、オフシーズンには部員達が野球食を考案し、実際に作り、品評会をしています。
CAPノート
野村淳監督と私たち野球部員は、グラウンド以外でもCAPノートというツールで信頼関係を深めました。CAPの語源はCheck、Action、Planを指します。CAPノートでは悩みや感じること等を自由に書き記し、監督へ提出します。監督はというと、さすが国語の先生、内容だけでなく誤字脱字までチェックされ、テスト用紙のように真っ赤になったノートが返却されます。何十人ものノートをみる監督も大変だったでしょうが、現役時代は面倒に感じたこともありました。しかし大学生となった今では、書くことに苦もなく取り組める癖がついており、改めて野村監督に感謝しています。
まさかの幕切れ
昭和51年の春季高校野球岐阜県大会の決勝は、予想通り県岐阜商対長良となりました。試合は8回を終わり1対3で県岐阜商がリードし、最終回の長良の攻撃。1アウトから福井選手(28期)のヒットや四球で、3塁に福井選手、2塁に長野選手(29期)、1塁に安藤選手(29期)と塁上が埋まり、バッターは最も信頼のおける4番・白木選手(28期)を迎え、逆転のお膳立てが整いました。ここで白木選手は期待に応え、センターに大きな飛球を放ちました。相手センターのグラブをかすめ打球が抜けたのを確認した3塁ランナー福井選手と2塁ランナー長野選手は同点を確信し、タッチアップ体制からホームを目指しスタートを切ろうとしたその瞬間、2塁ランナーの長野選手は不思議な光景を目にしました。自分より1つ後ろの塁にいるはずの安藤選手が、横目で自分と目が合うとニヤリと微笑み、そのまま前を走っていく???すると審判のアウトのコール。結局勝利の女神は長良に呆れ、2対3で長良は敗れ、走者を追い越した安藤選手は先輩から…、これ以上は控えさせていただきます。
続・まさかの幕切れ
昭和51年の春季高校野球岐阜県大会で準優勝の長良は、今度こそは優勝するぞと意気込み、岐阜県代表として中部大会に出場しました。1回戦は三重県代表の宇治山田商、白熱した攻防が繰り広げられ、9回表を終わり2対1で長良がリードし、最終回の守備に就きました。この日も先発は山田投手(28期)。この日を含め全ての試合を1人で投げ抜き、絶妙のコントロールと多彩な変化球で数々のピンチを切り抜ける165cmの彼は、“小さな大エース”と称されていました。しかし結果的にこの大会を制した宇治山田商も最後まで試合を諦めません。左中間2塁打と右前タイムリーで同点とされ、連続四球で一死満塁。この最高に緊迫した場面で、山田投手は6番打者をピッチャーライナーに打ち取り、誰もが一走併殺かと思ったその時、まさかの一塁悪送球。この間に3塁ランナーが生還しゲームセット。またしても勝利の女神は長良に微笑まず、サヨナラ暴投の山田投手は仲間から…、これ以上は控えさせていただきます。
センバツ大会の歴史
第1回大会は1924年に名古屋市八事の山本球場で“選抜中等学校野球大会”として、全国から8校が選ばれ開催されました。第2回大会から会場は阪神甲子園球場に移り、出場校数は以後、基本的に拡大し、第55回大会(1983年)から32校制が、第70回大会(1998年)の記念大会は36校が出場し、以後5回毎の節目は2校増、10回毎の節目は4校増が定着しました。また夏の大会同様、1942年から1946年の間は第二次大戦のため、大会は中断されました。センバツ大会は野球の技術だけでなく校風・品位を重んじ、第73回大会(2001年)から「21世紀枠」を創設し、困難克服校等の特色ある高校も選出されることになりました。また第75回大会(2003年)から守備的要素を重視して選出する「希望枠」、明治神宮大会の優勝校の地区に出場枠を与える「神宮大会枠」が創設されました。ちなみに本校は2010年現在、第22回大会(1950年)、第23回大会(1951年)、第46回大会(1974年)に選出され、センバツ大会(甲子園)に出場しました。