【TOPICS Vol.9】長球会(長良高等学校野球部OB会)オフィシャルサイト

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このページは長良高校野球部に関連したエピソード等、OB会員の皆様から寄せられた情報を掲載しています。こんな伝説、あんな事件…、新たな記事の情報をご提供ください。⇒記入ページからどうぞ!(別ウインドウが開きます)
打倒・岐阜商! その2
「GIFUSHO」のユニフォームを見ると、年を取ってもアドレナリンが上がってしまう長良OBは大勢いるようです。夏の大会に限っていうならば、県岐商との戦績は2011年現在、1勝10敗と圧倒的に負け越しているので、「県岐商を倒して甲子園へ」と現役部員に夢を託している長良OBが大勢いるのは当然といえるでしょう。時を超え、岐阜県高校野球OB大会という舞台で雪辱のチャンスが到来しました。第4回目の同大会で初めて県岐商との対戦が決まったのです。「対戦校が県岐商ならば」ということで、急きょ参戦したOB選手もいる程、試合前から大盛り上がりとなりました。2011年9月25日に行われた決戦では、9点奪われても10点獲るというシナリオで臨んだ國島采配に対し、中村友繁(37期)→石原泰享(38期)→中村友繁(37期)→都竹孝臣(43期)→生駒哲也(47期)→田口行宣(55期)→宮崎泰輔(62期)の投手リレーは想定内で抑えましたが、打線が沈黙・・・。結果、0対6で惨敗しました。現役時代のリベンジを果たせなかったOB選手に限らず、300人?を超える大応援団も「来年こそは…」という気持ちで言葉少なに球場を去ることになりました。この日の夜は柳ケ瀬のあちこちで緊急ミーティングが開かれ、長良川球場で試合後に歌う予定だった校歌が、何度も何度も復唱されていたそうです。
心強い兄貴 62期 宮崎泰輔
宮崎泰輔氏(62期) 平成23年3月に本校を卒業した宮崎泰輔氏は、至学館大学に進学と同時に本校野球部のコーチに就任しました。宮崎コーチは、選手以上にグランドを走り回り、仁王立ちでマウンドに上がれば選手は震え、ショートを守れば華麗にボールをさばき、選手にとっては憧れのコーチです。また、年齢が選手に近い事もあって、良き相談相手としても慕われています。宮崎泰輔氏(62期)
目立つ事が大好きな宮崎コーチは、第4回岐阜県高校野球OB大会で、長良川球場のマウンドに上がり143kmのスピードをマークし、相手ベンチ、スタンドの観客全てを一瞬で魅了させました。まさに心強い兄貴です。
真夏の5連投
昭和46年夏の全国高等学校野球選手権大会、参加校は31校でしたが三岐大会があるため甲子園には6戦勝ち抜かなければなりません。長良はエース松田(現姓:市川)を擁し、岐阜商とともに優勝候補の双璧。むしろ、切れ目無い打線と合わせた総合力は岐阜商より上との評価もあり、皆が甲子園出場を期待しました。初戦可児工には7回コールドで順当に発進しましたが、次戦(ベスト16)までに3日間の雨天順延が運命を狂わせました。ベスト16から準決勝(三岐大会代表決定戦)まで3連戦。中でもベスト8の中津商戦は延長10回逆転サヨナラ勝ちのきわどい試合。そして代表の座を勝ち取ったものの、三岐大会は休養日無しのまま突入。強豪三重高に勝ち、いよいよ甲子園出場を賭けて岐阜商戦!エース松田は、これまで4連投。「打倒!岐阜商」とハートは燃えに燃えた鉄腕も5日連投の疲労は隠せず、岐阜商の打棒の前に夢は叶いませんでした。今では考えられない日程ですが、エース松田は6試合53イニング、そのうち5連投46イニングを一人で投げ抜きました。岐阜商の表彰が終わっても、大健闘した長良ナインにスタンドからはいつまでも拍手が鳴り止みませんでした。
満員札止めの好カード
昭和46年夏の三岐大会決勝、長良vs岐阜商戦。三岐大会としては7年ぶりの岐阜県勢同士の決勝戦。当時の県営球場は、普段はバックネット裏と内野席で観客を収容していましたが、この好カードに試合前から続々と入場者が詰め掛けました。外野席を開放したものの、それでもスタンドはギッシリ埋まり、球場史上初めての満員札止めとなり、球場に入れない人が出ました。
 7年後の昭和53年夏の岐阜県大会決勝(既に三岐大会は廃止、1県1代表)は、長良vs県岐阜商。この年県岐阜商は、1年間の対外試合禁止処分が明けて直後の大会で是が非でも甲子園へという大会でした。対する長良はエース杉山を中心に勝ち上がり、7年前の雪辱に燃え殆どのOBが一塁側スタンドに陣取りました。いや野球部関係だけではなく、学校関係者全てが県営球場に集合し、外野席はライト側から順次埋まって行き、左中間席まで長良応援団が陣取りました。しかし試合は惜しくも0-1で、またも甲子園には辿り着けませんでした。
 県営球場の公式収容人数は12,000人。球場史上最多、この2試合は2万人の観客でスタンドが埋まり、周囲の木に登って観戦する人もいたそうです。